体
私は
この上物である体が
あるばかり・・・・・
に
と感じながら生きている
健康である体をもった私が
そう発すれば
そうではない方々から
避難罵倒されるのは
当然の覚悟で
書いております
でも
やはり
この体があるからこそ
生きにくい
のです。
私にとって
この生きにくさの根底にあるものは
伝わらないという
思いが多すぎること
学び・助け合い・伝えて
会話して
コミュニュケーションして
好きなものを身にまとい
好きなものを買って
好きなものをまわりにおいて
この幸せな時代を
日本人として
人間として
心から楽しめば
いいだけのことである
でも
どうしても楽しいとは思えない日々なのである
(いえ、でも、心の底では微笑んでいます・・・矛盾・・・。苦笑)
何をしても
やはり
心の中には無を感じるのである
だから
体があるばかり・・・・に・・・・。
と
なり
体など
本当は必要のないものなので
重たいとしか
感じないのである
でも
私は
この身を与えられ
生きていくしかない生き者であるから
でも
みなさまには
私は何も持ち合わせていない
時間の無駄遣いのような人としか
移っておらず
いえ
確かに
そうなので
否定もできません(笑)
自他と共に認めています。
そういう人たちにいわせると
私は
暇な
たいくつな人
考えもない
知識のない人
と
なるわけです
まさに
その通りなのです
私には
何を求めるべきか
何をするべきなのか
この世に求めるべきことがなかったのであるから
だから暇を持て余していました
心が向かうことは
ただ一つなので
やるべきことがないのでした
生きていくために
最低限の
衣食住を守り
楽しみは
おろか
買いたい
生きたい
やりたい
どこかに行きたい
どんどん
消え失せてきて
ただゆっくりと
お日様が昇り、お日様が輝き、
お日様が沈み、月が空を照らす。。。
その地球と自然を眺めています
なんにもない自分なのですが
私には
そういった自然の中で生きている
この時間が
幸せでたまりませんでした
人間社会の争いもなく
実力で勝負することもなく
勝ち負けのない
世界で
淡々と過ごしていることが私の幸せなのです
好きなことをしている家族を
頑張っている人たちを
ただ支えるために
私は生きている
仕事をもつ女性にとっては
私のような生き方は
つまらないのかもしれない
でも
私は
これが私の幸せであり
楽しみなのです
ですから
これまでの私は
他人様の人生に
のっかっているような
そんな生き方といえば
生き方
だったのかもしれません
でも
私は
いつのまにか
買いそろえたガラクタのような家の中に
ため息が・・・・
断捨離
この世を生活するための現実の世界には
興味がない
私は何にも興味を示さない
考えることは
心
人の思い
それしかないのだと
気づいたとき
体が重い
と
感じたのである